こんにちは、治療室クリスタ院長・かとうようこです。
あらためましての自己紹介。
前回は「20代編」をお話ししましたが、今回は30代編です。
ざっくり言うと20代は妊娠出産子育て開始の時期。
今日もタイトルどおり、どんな30代を過ごしていたかについてお話しします。
自分語りみたいですが、現在の仕事につながる話なのでお付き合いください。
<ここまでのおはなし>
3回の出産やその直後の引っ越しでムリがたたり、ひどい体調不良に悩まされてたびたび寝込むこともあったわたしは、鍼灸師の先生にはじめて鍼をうたれた瞬間、雷にうたれたような衝撃を感じて動けなくなりました。
(いま思えば、滞っていた血と気が一気にめぐり始めたんですね)
そして、のちに鍼灸の師匠となる大先生の治療院に運ばれましたが、大先生はわたしを見るなり、
「ああ、君はこの業界に入らない限り生きていけないね」
と言い放ったのです。
そこから大先生の治療院で、お手伝いをしながら治療を受けることとなりました。
くわしくはこちらの記事をぜひ!
【自己紹介・20代編】妊娠と流産と出産と
『漢方とわたし⑤ 人生初の鍼の衝撃』
『漢方とわたし⑥ 自分が鍼灸師になる』
<前提おわり>
そんなこんなで、自分の体調不良で通った鍼灸院の先生からスカウトを受けて、鍼灸治療の世界に足を踏み入れたわたし。
自分から希望して何かになろうと思ったことは今までもなく、流されるまま東洋医学の勉強を始めることになりました。
30代は怒濤の日々、勉強と家事と子育てにあけくれることとなるのです。
(40代も別の意味で怒濤でしたが、それはまた次の記事で……)
30代は国家資格取得に励む

師匠のもとで治療とお手伝いをしていたわたしは、必要にせまられて? 鍼灸の免許を取りに専門学校へ入学しました。
鍼灸師の資格を取るためには専門学校に入学し、3年間の勉強後、国家試験を受ける必要があったのです。
そして鍼灸学専門学校入学後、しばらくして保育専門学校にも入りまして……いわゆるダブルスクールです
わたし、忙しいときは何ごとも同時進行、短期間で済ませたいタイプなんですよ。
この時期には、わたしの体調不良の一因にもなっていた湿気の強い寒い部屋から転居、通学にそこそこ便利な日当たりのよい部屋に移動していました。
朝、夕飯の準備をすませ、ノート整理は学校帰りに駅前の喫茶店で集中してやっていました。
この間、幼稚園の併設保育園でも仕事をしながら、治療院での仕事も継続&漢方やカイロプラクティックなど各種勉強会に顔を出すという生活に明け暮れました。
(あらためて当時を振り返ると、この日程恐ろしいな……)
ただし、仕事は週に3日。
だからこそ続けられたのだと思います。
とはいえ、無理がたたって定期的に倒れて寝込むの繰り返しでして……
娘の中学の卒業式当日も、出席できずじまい
私はとっても覚えているんですが、娘は「そうだっけ?」と本気で記憶がないみたいでありがたいです!
そして30代後半、学校も卒業し無事試験に合格。
鍼灸師
幼稚園教諭
保育士
3つの資格を取得することができました。
おかげさまで鍼灸学校では、成績優秀者として表彰されました。
忙しすぎて当時の記憶があいまいなため、めっちゃはしょっていますが、移動中に聞いていたドリカムとB’z。
流行ってたなー
懐かしいねーーー
鍼灸の仕事は出張から

ここからやっと、仕事のお話です。
学校を出たあと、ご紹介でぼちぼちと出張で鍼灸の仕事を始めました。
ほんとうにのんびりペースでしたが、脳梗塞で倒れた方々からリクエストをいただき、片道2時間かかる場所にも行ったりしていました。
最初の年はほんとに霞のような金額ですよ。
出張の売上は、年間で30万くらいだった気がします。(正直忘れた)
それが一年後、ありがたいことに、リハビリ病院の待合室でうちの患者さんを見てその変化に驚いた方々から、施術依頼を受けることが増えてきたんです。
まさに口コミの威力を感じました。
そうこうしているうちに、当時の患者さんたちから、「先生が部屋を借りたら、そこに通うよ」と言っていただくようになったんです。
そこで、ざっと計算してみたところ、家賃支払いができそうだったので、駅から15分もかかる場所でしたが、当時の身の丈にあった部屋を借りることにしました。
部屋数は3部屋で、月6万5千円+駐車場代5千円だったと思います。(記憶あいまい)
6畳2部屋+4畳半1部屋だったのは覚えています。
30代の終盤は、この最初の治療院を軌道に載せることに力を注ぐこととなりました。
さいわい、たくさんの患者さまが訪れてくださり、40歳になると同時に法人化。
形ばかりの法人でしたが、形を整えておくことで、後の活動がかなり楽になった記憶があります。
実際、このときの法人は、形態をかえつつ何とか今も生き残っています。
こうした流れもすべて、諸先輩からいただいたアドバイスのおかげでした。
諸々の出会いに感謝しかないですねぇ……
当時は「50歳でリタイアするからー」と、豪語していましたっけ。
が、そうは簡単にいかない状況が待ち受けていました。
引き続き、怒濤の40代については次回また。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!