【自己紹介・40代編】濁流にながされたようなもの

こんにちは、治療室クリスタ院長・かとうようこです。
あらためましての自己紹介。

30代編に続いては、いよいよ40代。

この時期も流れにまかせて過ごすのだけどその流れが濁流ね、濁流爆笑
あっちにぶつかりこっちにぶつかり進んでいきます。

<ここまでのおはなし>

3回の出産やその直後の引っ越しでムリがたたり、ひどい体調不良に悩まされてたびたび寝込むこともあったわたし。

訪れた鍼灸治療院で、のちに鍼灸の師匠となる大先生に、
「ああ、君はこの業界に入らない限り生きていけないね」
と言われました。

それがきっかけで、大先生の治療院で治療を受けながらお手伝いをすることとなりました。
子育てをしながら東洋医学を学び、やがて鍼灸の専門学校と保育の専門学校でダブルスクールをすることに……!

30代後半で、鍼灸師・幼稚園教諭・保育士の3つの資格を取得し、出張治療を経てついに自分の治療院を開業したのです。

くわしくはこちらの記事に書きましたので、ぜひ読んでみてください!

【自己紹介・20代編】妊娠と流産と出産と
【自己紹介・30代編】激動!鍼灸と幼児教育のダブルスクール時代
『漢方とわたし⑤ 人生初の鍼の衝撃』 
『漢方とわたし⑥ 自分が鍼灸師になる』

<前提おわり> 

では、早速 ───!

タクシー運転手さんに言われたひとこと

リアル口コミのみで、都心から40分ほど離れた場所で始めた鍼灸治療室。
もちろん看板はなしです。

自分の施術が週2日、修業先でのお手伝いが週3日。
ときどき、お茶の水にある知り合いの先生の治療院をお借りして施術……そんな生活が2年続きました。

ところがあるとき、部屋を借りていたビルの都合で、突然お茶の水で仕事ができなくなってしまったのですガーン

どうしようか一瞬悩みましたが、これもよい機会と思い、都内で開業することにしました。(唐突)

そこが前の治療室、日本橋本町1丁目コレド室町のすぐそばでした。
不動産屋さんに案内された1件目、即決した場所です。

(コレド室町と福徳神社)

週2日の自分の施術日には、

地元の治療室で数人施術

移動40分

日本橋で仕事

移動40分

また地元で仕事

というようなスケジュールをこなしていたので、移動時間を短くするためにタクシー利用が普通でした。

ある日、地元の治療室と日本橋を3往復したことがありました。
(つまり、タクシー6回利用です)

本当に偶然なのだけど、タクシー6回利用したうち、同じ運転手さんに3回遭遇。

この確率すごくないですか?
車内でもさすがに

「あれ?さっきも乗った人だよね?」

みたいな話になり、運転手さんに言われたのが、

「あのね、あなた
こんな働き方してたら死ぬよ
ほんとに考えた方がいいよ」

という言葉でした。

わたし、めちゃくちゃこの言葉が刺さりましてね。
徐々に仕事場を日本橋メインに絞りました。

今思えばきっと、酷い顔していたんでしょうね。
その様子を運転手さんが見かねたんだと思います。

真剣に言っていましたから……。

アトピー性皮膚炎と本気で向き合う

40代では、もうひとつ大きな出会いがありました。

それは、当時治療室のお手伝いをしていただいていたMさん。
もともと施術の勉強にいらしていたのですが、その方との出会いがなければ、もしかしたらわたしはアトピー性皮膚炎についてさほどご縁がなく過ごしていたかもしれません。

というのも、当時の患者さんはほとんど脳血管障害の後遺症の方々で、皮膚症状が強い方をあまりみたことがなかったのです。

そんな中、Mさんからお子さまたちの施術を頼まれました。

「二人とも20代。幼児期よりひどいアトピー性皮膚炎で通常の暮らしができないんです……。
炎症がひどく、寝たり起きたりの生活が長期間続いている、なんとか少しでも楽にしてあげたいからよろしくお願いします」と。

これがきっかけになって、アトピー性皮膚炎とガチで向かい合う日々がやってきました。

試行錯誤しながら確信したのは、難しいと思われる症状ほど、カラダの基礎を作ることが大切だということ。

「『カラダの土台』を育てること」の大切さを、アトピー性皮膚炎の施術を通して体感しました。

(M家とは別の方初診時)

 ↓

(三ヶ月後)

アレルギー疾患はすべて同じですね。
カラダの土台をつくっていくと、枝葉の不調がとれていきます。

この経験から、今では皮膚のトラブルはクリスタの得意科目になっています。

看板のない鍼灸院 インターネットの威力を知る

看板のない鍼灸治療院、クリスタの転換期は2006年。

あるときとてつもない読者数を持ったブロガーさんが、体調不良で来院されました。
また後日には、お友だちブロガーさんもご紹介でいらっしゃって、その方々が施術を受けて結果に満足していただき、さっそく記事を書いてくださったんです。

▶︎ 体調が悪くてシャレにならなかったので治療室クリスタに駆け込んだ。※プチ・グロ画像アリ|C.I.L

そのときまでは、ガチの口コミだけでやっていたのが、ネット経由の口コミがどんどん広がっていきました。

その発信によって患者さまが激増、今のクリスタの基礎ができあがったというわけです。

やはりネットの威力ってスゴイですね……それを実感した出来事でした。

きっかけはもう15年以上前の記事ですが、今でも「アトピー性皮膚炎」で検索して当院を訪れる方も多いです。
日本だけでなく海外からも、施術にお越しいただいています。

これもインターネットネット越しに当院を知っていただけたからに他なりません。
ほんと、うれしくてありがたいことですラブラブラブ

これを機に、脳血管障害の方よりも筋骨格系や、皮膚メンタルの不調に悩む患者さんが増えてきました。

当時を振り返ると、今とは違いかなりの激務。
さすがに治療室徒歩圏内に引越しをし、通勤はだいぶ楽になりました。

40代は臨床にあけくれた時期

「何かあったときはクリスタに行く」という患者さんがいらっしゃいますが、そう言っていただけるのは本当にうれしい。

正直施術の仕事をしていると、壁にぶち当たることがしばしばあります。
ひとつの手法だけでは解決できないこともたくさんある、そのため学びはかかせなくて………。

もはや資格マニアとしかいいようもないくらい、あれこれ資格をとり、講座を受け続けています。

(上海での解剖実習 ランチに向かう後ろ姿)

ネット口コミのおかげで、40代終了時点での施術累計人数は一気に増加、独立前を含めると8万人ほどになっていたと思います。
あのころ、鍼とアクティベーター(カイロプラクティックの施術用器具)を使いすぎて、手にまめができてましたっけ ───。

あ、そうそう、離婚が成立したのも40代後半でした。
(さらっという)
まさに激流に流されもまれ続けた日々だったと思います。

次回は50代。
濃い話を薄めてお伝えしていきます。