地味に地味ーーーーに漢方の勉強を続けています。
もう25年以上前(!!!! 改めて驚愕!月日が経つのは早いです)になりますが、
藤平健先生や張明澄先生の漢方講座にも参加していました。
講座の内容はもちろん、
先生方ご自身の体験をたくさん聞くことができて、本当に勉強になりました。
講座を受講する醍醐味って、そこにありますよね。
現場の臨場感とでもいうのかな。
漢方を学ぶことになったきっかけは、鍼灸の恩師にすすめられたからであり、
特になんの疑問も持たず始めた勉強でした。
それが今、
わたし自身の健康維持に非常に役立っています。
(せんせい、ありがとう)
初・漢方はお年玉で購入した中2のとき
振り返れば漢方は、子どものころからわたしにとって身近なものでした。
物心つくころから酷いアレルギーもちで、
ちょっとしたことで目は腫れるし、くしゃみ鼻水……そして喘息。
とてもめんどくさい子どもでした。
両親は、東洋医学をまったく信用していないので、(現在もです)
初・漢方は自力で買いました。
野生の勘とでもいうのでしょうか。
絶対自分に必要だって思ったんでしょうね。
自分で薬局を見つけて処方してもらい、お年玉で購入したのが最初です。
それが中学2年生のとき。
薬局のおやじさんが、
次々とわたしの症状を言い当てていくことに唖然としたのを覚えています。
本格的に漢方を飲み始めた大学時代
継続したかったのですが、残念ながらお金が追いつかず(笑)、
本格的に漢方を購入したのは大学生になってからでした。
このときも、非常によい薬剤師さんにあたり、
苦しんでいた症状がかなり緩和されました。
その後引越したので、通っていた薬局が遠くなりました。
そこで、
近場の別の薬局に処方をお願いしたのですが、
これがまたいまひとつピンとした結果がついてこなくて、自然消滅したのでした。
このころは、
まさか自分がこうした治療法を学ぶようになり、
おまけにそれを職業にするなどとは、まったく予想もしていませんでした。
大学のころ、主に処方されていたのは、
「小建中湯(しょうけんちゅうとう)」という薬でした。
いわゆるパッケージの説明からすると、
まったくわたしの症状には当てはまっていません。
が、
この薬が本当にいい仕事をしてくれて、かなりラクに暮らせるようになっていました。
当時いちばんつらかった症状は、お腹の締めつけるような痛みでした。
それと連動して、背中の痛み。
食べ合わせによっては、動けなくなるほどの痛みが結構ひんぱんに起こっていたのです。
もちろん、病院での検査では特に異常なし。
こういうときこそ、威力を発揮するのが東洋医学(広い意味での)。
予定通り(笑)、
投薬が始まり、かなり痛みの発作は減ってきていました。
。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
それから半年ほどして、父の転勤が決まり、
わたしは寮で生活することになったのです。
ここで、人生初の解放感を味わえた!
心が解放されるってすごいね。
いつもの空が青い。
心地よい風が通り過ぎるとでも言うのかな。
そう、解放されるって、気が流れる。
いかに自分が束縛され圧迫されてきたかを、あらためて感じたことを記憶しています。
話がかなり横道にそれそうなので、くわしい内容は控えますが……
親子の相性ってありますよね。
こどものころから
母という存在が重くて重くて
息絶え絶えになっていったなと、
いまさらながら思うのです。
そしてそれは、いまだ続いているっていうところがアレですね。
こうして大学時代は極力実家に戻ることをせず、(盆と正月しかたなく帰省)
卒業までの数年を、穏やかに過ごすこととなりました。
しかしながら、大学卒業後また束縛という同じ輪廻にはまっていくのでした。
大学卒業後、希望の職場に就職する予定が……⁉︎
大学卒業とともに、実家のある東京に戻りました。
そこに至るまでの経緯も、その後のわたしの行動にかかわってくるので書いていきます。
大学4年時、
学部長推薦をいただき、とある病院に就職が内定していました。
そこは子どもの精神疾患に強い病院でした。
希望する職種に内定できたのと、
実家から離れて暮らすことができるのとで、すっかり安心していました。
そう、
わたしは母の性質を軽くみていました。
「世界は自分中心に回っている」と信じてやまないという人だということを。
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
ある日わたしは、学部長から呼び出しを受けました。
「君の母上はとんでもないことをしてくれたな」と、怒号が飛んできました。
一体何が起きたのかわからず、
キョトンとしたわたしに、
たたみかけるように学部長は、病院側から連絡があったと言いました。
母は、就職先が気に入らなかったのでしょう。
無断で「就職をさせない」と、断りの電話を入れたようです。
ことの顛末を聞かされ、
血の気が引いていったのを、今でもありありと覚えています。
その場で学部長は実家に電話を入れ、母に抗議をしていました。
当然ですね。。。
「学部長推薦の意味をわかっていますか?
あそこの病院から二度とうちの大学に募集はかからないということですよ。
君の家族は、後輩の就職口をひとつ奪ったのですよ」
と言われました。
たしかにその通りです。
翌年、
寮の後輩が教えてくれましたが、
わたしの事例がとんでも事例として紹介されたそうです。
その日、
どうやって学部長の部屋から退出したか、記憶がありません。
こうやって書いていても、「あのときのあの場所」にフラッシュバックして、血が引いていきますね。
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
当時この騒動を経験して、決心したことがありました。
☆必ず障害児関連の仕事につく
☆「会社」をつくって人を雇用する
心の片隅にずーっとこの思いを秘めて、生きてきた気がします。
あの日から30年以上の月日が流れました。
だいぶ時間がかかり、ペースものろのろですが、
いま、
当時決心したことが実現しつつあります。
結婚、そして鍼灸との出会い
大学卒業後、ほどなくして結婚しました。
(だいぶはしょってます)
はじめて授かった子どもは、残念ながらお腹の中で死んでしまいました。
「稽留流産」でした。
幸い、その後は3人の子どもに恵まれ、
無事出産するのですが、3番目の子どもを産んだ直後に引っ越しがあり、
無理がたたって、ある程度おさまっていた喘息の発作が毎晩続くことになります。
当時住んでいたマンションは、近しい年代のお母様が多く、
わたしたち親子は、引っ越し後にもかかわらずすぐに仲良くなりました。
ちびっこ2人と乳飲み子をいつも連れて、毎日公園で遊ばせていたので、
「カルガモ親子」と言われていましたね(笑)。
引っ越してから3か月くらい後、
体調不良が続き、あまり外に出ることができなくなっていました。
うちのベランダに洗濯ものが出ていないと、
「あの人(わたしのこと)また寝込んでるよー」と、
いく人かのお母様たちが食事を運んできてくれたり、
うちの子どもたちを遊ばせてくれたりと、周囲の方々には本当に助けられました。
ある日、
あまりにも具合の悪いわたしを見かねたひとりのお母様が、
「すごくいい鍼灸師さんがこのマンションにいるよ。
休業中で知り合いしか診てもらえないけど、紹介するよ」
と、鍼灸師さんの部屋へ連れて行ってくれたのです。
はじめての鍼。
先生は40代の女性で、視覚障害をお持ちの方でした。
ご挨拶をすませ、さっそく治療開始となりました。
ベッドに寝て、右腕の肘あたりにポンっと1本鍼が入ったその瞬間、
!!!!
打たれたとたんに、体中の血がその場所から噴き出していく感覚を覚え、
大流血している‼️
と大騒ぎしました。
天井は回るわめまいでグルグルになるわ、
幽体離脱するわ←割と子供のころから経験あり
呼吸も過呼吸になるわで、
先生もびっくりですよ。
経験豊かな方でしたが、「こんな患者ははじめてよ!」と絶叫(笑)、
連れて行ってくれた友だちは、恐縮しまくってましたね。
周囲の状況は理解できていたのですが、
もはや自分の身体がコントロールできなくなっていました。
イヤですね……
こんな患者。
ごくノーマルなツボにごく普通に刺して、速攻こんな反応されたらねぇ……
結局、
当日ベッドから起き上がることができず、
なんとその夜は、先生のお宅に泊まることになりました。
このとき、からだに起こった現象を、当時は理解できませんでしたが、
どんだけ血と気が滞っていたんだよ!って、いまのわたしから昔のわたしに言いたいね。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
翌日、
先生の先生、わたしにとってのちの師匠となる大先生のところへ、車で運ばれたのでした。
先生に付き添われて治療室に入るなり、
大先生は、
「ああ、君はこの業界に入らない限り生きていけないね」と言い放ちました。
まさに「言い放つ」って感じでした。
「治療もしてあげるから、勉強に来なさいね」とも言われ、
もう何だかよくわかりませんでしたが、
とりあえず「イヤです」という選択肢は思いつかず、
(何しろふらふらなので)
「はい」
と答えていました。
その日は
カイロプラクティックを受け、
帰路につきました。
で、3日間寝込みます。
しばらくはその繰り返しでした。
治療受ける⇒3日寝込む⇒治療受ける⇒3日寝込む……
周囲は、余計に悪くなっているんじゃないかと、
「もう治療には行くな」と引き留めてきました。
傍目にはそのように映ったことでしょう。
しかしながら、
当事者のわたしは、
身体はすごくつらかったのだけど、
不思議なことに、何かものすごい手ごたえを感じていました。
大先生の治療室には漢方の先生(中国の方)が常駐されていて、
治療を受けながら、お手伝いもしながら漢方を飲むという生活が、その後約3年ほど続いたのでした。
いわゆる「きざみ」の漢方、煮出して作るタイプです。
一時は虫も処方されてました。
(ゴキブリとは思いたくないですが、そのように思います)
まるで泥のような液体を飲みつつ、
ニンニクと卵味噌を常食するように指導を受けたので、
生薬のにおいとニンニクの臭いが充満して、自宅はとんでもなく臭かったです。
漢方と幼児教育を学び、自ら治療する側へ
さらっと書いておりますが。。。
それはそれは肉体的にはきつかったです。
つらかったこと。
何が?というとですね、
決して泥のような漢方薬を飲むことでもなく、
治療後に寝込むことでもなく、
自宅が臭いことでもなく、( ̄ー☆
業界用語でいうところの「邪気」ですね。
当初は立っていることもできなくらい、ある種の「気」にやられてました。
わたしが勉強させていただいていた治療室は、かなり重症な方が多く、
入院先から担架で運ばれて治療を受けて病院に帰るような患者さんも多くいらしていました。
そうした方々が、部屋に入ってくると同時に⇒ぱさっと倒れる
足から力が抜けて、本当に立っていられなくなるのです。
端からみると、本当に滑稽だったと思います。
倒れるだけでなく、吐く。
そう、ひたすら吐いていました。
吐いたり、下痢したり、倒れたりを繰り返しつつ、
自分を守るすべも身につけていきました。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
わたしには、子どものころから持て余していた「ある種のチカラ」があります。
この特性を見抜いた師匠は、やっぱりすごい人です。
スカウトされなければ、恐らく自分で自分を攻撃して、早死にしていたでしょうね……
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
治療をする側としての知識が、
たしかに自分の身体を整えるのにとても役立ってきて、
大先生が言ったことばが身に沁み始め、
子育てまっただ中でしたが、
どさくさにまぎれる形で鍼灸の学校へも行き、漢方の勉強も始めました。
そして幼児教育を本格的に学ぶことに。
そのうち子ども関連の仕事をする&人を雇うことになる
↓
となると、自分が免許をもっていないと舐められる(多分)
↓
だったら幼稚園教諭と保育士の免許も取ろう
で、免許をとりに学校に行きました。
ちなみにこの時点では、独立開業などまったく考えもしていなかったんですよね。
ただ、毎日必死だったのは覚えています。
この数年で、やっといろんな糸が繋がってきたところです。
治療業界に入って、何より悩まされていた「邪気」、
実はあっさりと受けなくなりました。
きっかけはブラジル訪問でした。
サンパウロで、鍼灸学校設立のお手伝いをさせていただいたのですが、
帰国後、治療の際にあれほど苦しんでいた吐き気とか立てない状況とかが、まったくなくなったのです。
土地のエネルギーなのでしょうか。
さくっと体質が変わっていました。
今でも治療を続けることができているのは、
あのブラジル訪問があったからにほかならないと思っています。
そして縁の不思議、
見えない世界の不思議を
このあともたくさん経験することになりました。
この道に突入して30年近くが経とうとしています。
それだけの月日が過ぎて、
やっと最近続けてきてよかったと思えるようになりました。
今まで通りのんびりペースではありますが、
これからもできることを出来るときに、
「整心正位」をモットーに、
治療を続けて参ります。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
